愛犬と登山 パピヨンと高山200回以上の教訓 
         犬が自然環境に与える影響       
犬は環境破壊をする?
 
 連れ登山者が山の自然環境に及ぼす影響は、人間がホモ・サピエンスという動物であるという大前提に立つと、犬連れでない登山者が山の自然環境に及ぼす影響と同じと考えてよい。
犬を物覚えの遅いかわいい子供と思えばよい。犬のしつけと登山マナ−さえしっかりしていれば、犬だから、特別に配慮しなければならないものはない。
 
 犬は動物だから、人間とは違う何かあるだろうと思っている人が多いが、実は特別に配慮しなければならないものは何もないのだ。犬も人間と対等に見てやればよい。
 
   人間は生物学的には、猿と同類の霊長類のホモ・サピエンスの「ヒト」に分類されている動物だ。無菌の神や仏ではない。数限りない細菌に汚染されているし、あらたに汚染される動物だ。
 今、世界を震撼させている香港発の伝染性新型肺炎SARSも、その一つ。犬にも伝染するかも知れない。イヌとヒトは同じ哺乳類だから。ハクビシン、タヌキ、イタチ等には感染したと報じられている。
 
 猿や犬と同類に扱われては我慢できないと憤慨しても、事実だから、どうしようもない。山の自然環境問題を考える際に、ヒトは動物だという疑う余地のない根本的な事実を棚に上げしてしまっていることが問題なのだ。認識していながら、政治経済的な理由から、故意に棚上げしているか、あるいは、ほんとに認識不足で無知蒙昧だ。
 
 人間は無菌の神に近い存在だと考えているヒトは、イヌとヒトが山の自然環境に与える影響は異なるのではないかと疑い出す。その心配は杞憂だ。
 
    地球上で犬は同じ哺乳類の「ヒト」のそばに、いつの時代にもいた。有史以前から仲良く生きてきた。
 世界中で犬のいない国はない。どの国にも多種多様な犬がいたし、今もいる。その間、犬が自然環境に悪影響を与えた事例は報告されてない。地球上に現在までに、何百億、何千億匹の犬が生まれ、人間に重宝され、心暖まる癒しと数限りない想い出を残して、生涯を終えたのだ。
 
  共生共存関係を形成して、生存競争を生き延びてきた動植物は多いが、その多くは、異なる種類の動植物同志だ。イヌとヒトのように、哺乳類という同じ類に属する動物が共生関係を形成しているのは珍しい。
 しかも、そのイヌはヒトの好みに合うように改良されつづけられ、進化発展してきた。オオカミを手なずけて以来、現今の超小型犬ブ−ムに至るまで、常に仲良く生きてきた。離反独立した歴史がない。

 イヌがヒトに忠実であるのは、イヌの進化発展の歴史の過程で、地球上で生き延びて行くには、ヒトと仲良くした方がよいという遺伝子のDNAが、体内に組み込まれているのかも知れない。生物学的に見ても、極めて特異だ。その生存数も多い。他に例をみない。
 猫はかわいいが、忠実とは言えない。
 
 犬が山の自然環境に悪影響を与えると唱えているヒトは、このイヌとヒトの共生共存関係の歴史的事実に気づいていないか、その歴史的事実が理解できないほどの無知蒙昧だ。
 「イヌ」と「ヒト」の何万年という共生共存の歴史の重みを理解できないのだ。
「歴史は繰り返す」といわれるように、歴史から学ぶことは多いのに、イヌとヒトの歴史から、何も学ぶことのできないヒトなのだ。脳の思考中枢が北京原人やネアンデルタ−ル人から進化してないのかも知れない。そういうヒトは自分が動物であることがわかってない。
 何事につけ、平気で「犬は動物だから」と差別する。公園の手洗い用の水道の蛇口の横に、『犬に直接水を飲ませないでください』と掲示を出している市役所の小役人も、自分を動物とは思ってないようだ。無菌の神や仏に近い存在と誤認している。
 
    
 
 細菌学的にも、生物学的にも、植物学的にも、犬が自然を破壊した歴史はない。あるというなら、科学的に実証した証拠を求める。
 某県では実証するために研究しているようである。実証できるまでに何十年、何万年かかるかな。研究費(税金)の無駄な使い方をするものだ。観光登山業界からの「賄賂接待付け届けを増やす研究」ではないのかと問いたくなる。

 オオバコが登山道の近傍に繁殖しだしたのは、犬が原因だと言いだした人達は真の研究者でも科学者でもない。オオバコの種子のキャリアが膨大な数の登山者の登山靴であることは、科学的実証を待つまでもない。おそまつな自称研究者だ。世の中を愚弄している。科学者の風上に置けない低俗な人達だ。

 立山のライチョウが皮膚病に罹患したとき、感染源は犬ではないかと疑念を公表した人も、科学者の風上に置けない人である。科学的論理的思考能力が欠如しており、迎合的な低俗記者と同程度の頭脳の持ち主ということだ。
 詳細は別項ライチョウの絶滅、激減はのせい? 観光化で絶滅に朝日新聞の歪曲低俗記事について論述してある。

 国立公園の尾瀬に犬の入山を規制する看板を立てている環境省もおかしい。
「ペット」と誤魔化した表現をしているが、登山で連れて行くのは犬だ。犬が自然環境を破壊したという科学的な立証ができるか。観光登山業者と癒着結託した行政だ。賄賂接待付け届けを期待した看板だ。撤去を求める。
富士山のゴミと世界遺産 誰がゴミの山にした?に環境省と尾瀬の観光登山業者との癒着の実態を記述してある。
 
 

 人間はよく風呂に入るし、犬には毛があるから、犬と人間が山の自然環境に与える影響は違うのではないかという反論があった。
 狂犬病ウィルスが犬にも人間にも感染するように、細菌やウィルスの世界から、哺乳類の世界をみると、風呂、毛、衣服などは何の支障にもならないのである。ヒトもイヌも血液の循環している動物なのだ。風呂に入り、清潔な服をきていても、イヌよりも有利とはいえない。大自然の生物界から見ると、哺乳類であり、その中で、どんぐりの背くらべをしているようなものだ。
 自分自身を犬とは違う、何か無菌の神に近いような存在だと、何となく思いこんでいることに問題があるのだ。山の自然環境問題を考える場合、人間はヒトという動物だと言うことを大前提にしないと、空想の世界で空論を振り回すことになる。有害無益だ。
 なお、「狂犬病」の病名は政治経済的な理由から、偏見に満ちた低俗な人間が非科学的に付けた誤訳だ。別項狂犬病予防注射のからくりに詳述してある。
  
 犬が登山道を外れて、物理的に山を荒らすということも、犬の糞の問題も「イヌ」の問題ではない。人間のマナ−の問題だ。両者は明確に区別して考えなければならない。 しつけの悪いノ−リ−ドの大型犬との登山や犬の糞を登山道に放置したりするなどは論外だ。

 現今、観光地化した山で問題なのは、登山道の横にある人の糞の多いことだ。水にとけるトイレットペ−パ−ではなく、雨でも分解しないティシュペ−パ−が、いつまでも散乱しているのは見苦しい。山にはトイレットペ−パ−を持っていくことが山が好きな人の心得だ。
 なお、犬は糞をするから、犬連れ登山は禁止だと主張した自称登山家がいる。7日間縦走しても、山小屋以外では決して糞はしないとのこと。便秘症かと問いたい。自分自身は棚に上げて、他人(犬)にとやかく言うのは偏屈な人間の常だ。

 しつけのよい犬で、登山マナ−をわきまえた登山者なら、問題がない。犬を物覚えの遅いかわいい子供と思えばよい。親子登山を楽しんでいると、暖かく受け入れてくれると、人生が豊かになる。
 別項に、犬の糞や毛と山の植生の変化の有無について記述してある。
種子だけが発芽し、山の植生を変えるという奇怪な話
犬だけがダニ細菌のキャリヤ−になるというおかしな話。


 
 
 


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